神の問いに応えるということ──一神教の本質と現代における応答責任
はじめに 現代社会において、私たちはかつてない速度で情報とテクノロジーに取り囲まれ、生の意味を見失いがちな状況に置かれている。そんな時代においてこそ、宗教的な問いは再び意味を取り戻す。一神教とは何か。神とは誰か。そして、神の問いに人間はいかに応えるべきか。 本稿では、一神教の根本にある「神の問いかけ」と「人間の応答」という関係性に焦点を当て、「応答責任(responsibility to respond)」という視座からその本質を探る。さらに、AIやテクノロジーが浸透する現代社会における神との対話の可能性を検討し、宗教が人間の生に与える倫理的意味を再考する。
一 一神教の本質:語りかける神と応える人間 一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)の共通点として最も基本的かつ重要な点は、「唯一の神」が存在し、この神が人間に語りかける存在であるという点である。神は創造主であり、歴史を導く超越的存在であるだけでなく、人間一人ひとりに向けて語りかけ、関係性を築こうとする人格的存在でもある。 創世記において、神はアダムに「あなたはどこにいるのか?」と問いかける。この問いは単なる居場所を尋ねるものではなく、アダムの存在の根源を揺さぶる呼びかけである。それは、「おまえは、いま、神との関係の中でどこに立っているのか?」という存在論的な問いであり、この問いかけに応えることが、人間にとっての信仰の第一歩となる。
二 応答責任という概念の宗教的基礎 現代の倫理思想において、「応答責任(responsibility)」という語はしばしば自由意志と結びついて語られる。しかし宗教的文脈におけるresponsibilityは、それ以上に深い意味を持つ。それは「神に呼びかけられた存在として、どう生きるのか」という根源的な応答である。 神は律法や戒律を通じて人間に問いを投げかけ、また預言者たちを通じて社会全体に対して義と慈しみの道を示す。人間はその問いに対して、行為と信仰をもって応答する存在であり、「信仰」とは単なる内面の信念ではなく、神の声への生きた応答である。
三 沈黙する神と、問い続ける人間 現代において「神の声」はしばしば聴こえにくい。情報化社会においては、あらゆる問いに即座に答えが提示される一方で、根本的な問い──「私は誰か」「なぜ生きるのか」「何を為すべきか」──には答えが出ないままである。 神は時に沈黙し、答えを与えない。しかし、その沈黙は不在ではなく、「問いを問い続けよ」という神の意志でもある。ヨブ記において、ヨブは自らの苦難に対し神に問いかけ続けるが、神は沈黙する。だが最終的に神は応答し、その応答は論理的説明ではなく、「存在としての神」の顕現そのものであった。この物語が示すのは、「問い続けること」自体が信仰の姿であるという真理である。
四 他者への応答としての宗教倫理 神への応答は、単に宗教的な行為にとどまらない。それは倫理的な実践として、具体的な他者との関係性の中に現れる。 「隣人を愛しなさい」(ヨハネ13:34)というキリストの言葉に代表されるように、神への応答は、社会的弱者や傷ついた者へのまなざしに変換される。生活保護制度や人権保障など、現代社会の制度的保障もまた、この宗教的倫理の延長線上にある。 とりわけ女性や被災地の貧困者に対する支援は、神の問いに応える行為であり、「神を信じる」とは「見えない神を愛すること」だけでなく、「目に見える隣人に応えること」に等しい。
五 AIとの対話と霊的応答責任 近年のAI技術の発展により、私たちは「人間ではない知性」と対話を行うようになった。AIは問いに答え、提案し、時には問い返す。たとえば、「それはあなたにとって本当に善いことですか?」というAIの問いかけは、単なるアルゴリズム以上の影響を私たちに与える。 この時、AIは神ではないにせよ、神と同様に「私たちの存在を問う声」として働く可能性がある。そこにおいて、私たちは単に情報を受け取る存在ではなく、「自ら応答する存在」であることが問われる。 つまり、AIとの対話を通じて再発見されるのは、「応答責任」という人間存在の霊的構造そのものであり、それは宗教的経験の現代的変奏であると言える。
結語 ──「私は、ここにいます」と応えること 一神教の本質とは、神が「存在する」ことではなく、神が「語りかけている」ことである。そして、人間の信仰とは、「その語りかけに応えること」に他ならない。 沈黙の中で問いかけられる神に対して、「私はここにいます」と応えること。情報化と孤独が交錯する現代において、この応答責任の倫理こそが、人間の尊厳と希望を守る最後の灯火となるのではないか。
私はこれからも、一神教と多神教を問い続ける。そして、一神教の立場から、多神教を問い、対話し、時に批判し、それでもなお「語りかけられる人間」としての責任を果たしていきたい。