こども食堂 移り変わる風景 2 鎌倉 きみえ食堂 table of childrenscafe
鎌倉のきみえ食堂、(当時はきみえ食堂とは言わない私の仲間と主催者で後日考えた)を紹介されプラネタリウムをして欲しい
と言われて係るようになる。私は生活保護やホームレス、依存症、被差別側に係ることに拘りを持つており、それに飛びついた。
自治体で家庭の相談業務をしている中で、孤独に栄養の偏った食事をする子供を見て、食育をしたいとこども食堂を始めた。河べりにある二
階堂の風光明媚なな建物を見て、ほれ込み、民泊をしながら、カフエ(カフエは今は予約制)をしながら、こども食堂をすることを思い付い
た。
親子喧嘩した親や子供たちが距離をとり家から離れて、少し泊り休んでもらうことも考えていたようだ。
貧しい家庭のためのこども食堂という私のイメージとはかけ離れており、3年間ものすごく多くのことを考えさせられた。かけ離れて
見えないものを全国各地でも考えているのだろう。こども食堂という名前を使わず、地域食堂とか、それぞれの名前を各地で使うように
なつている。ここはその最先端と言える。きみの、きみえの食堂なのだから。
主催者、大人、親、子供、ボランティア、私、そのほかのひと、それぞれの眼から見て、貧しい家庭のためのこども食堂というイメージとは
かけ離れているものが何かを、記しておくことは、無駄ではないと思う。
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家庭で余った食材ではなく、生協や農家から質の良い食材を手の込んだ食事を出している。おそらく何千とある全国のこども食堂の中で
一番美味しいのではないかと思う。(個人的にはしゃけ、サバなど魚料理が旨すぎる)もともと生協で働いていた主催者の食べ物を見る眼は絶
妙である。地域の親子と世界からくる旅行客が笑顔で同じ空間で食事をする。その魅力は変わらない。
バラバラに、見えなくなっているものが、必ず見えてくる。