鎌倉と宇治。かつて宇治川が国を育み、農業と仏教が社会の基盤を形成していった。しかしその後、仏教も国も為政者も虚ろに溶け込んでいく様子は、歴史の無常を感じさせます。一方、鎌倉はその流れから離れ、独自の内実を取り戻し続けてきたものの、時の経過とともに再びその実質を失っているようにも見えます。
近年、鎌倉には多くの観光客が訪れ、あるいは移住者が増え、キリスト教や資本主義からの逃避先としての役割も見えてきます。しかし、かつて重税や治安の悪化を乗り越えた鎌倉の強さは、どこか薄れたように思えます。ここ8年の間、新しい動きが鎌倉に芽生えていると感じてきましたが、その反面、少しの絶望も抱いています。
IT、コンサル、アートの垣根を越えて
思い返せば8年前、若いITデザイナーが「ITとアート、コンサルの垣根はもうない」と語っていたことが印象に残っています。そのデザイナーは小さなワークショップから始まり、デザインを知り尽くした者同士が集まり、感性を共有しながら化学反応を生み出しました。その作品は地域に根ざし、商店街や行政のイベントに展示され、支援金の一部としても活用されるようになりました。そしてその動きは全国に広がり、今や世界でも日本文化を体感できる作品として注目されています。
鎌倉の多くのデザイナーたちは、社会の枠組みを超えて新しいデザインを生み出し続けています。彼らのデザインは、時に解体と虚無の交差点から生まれ、そこに光が差し込み、新しい価値を創造していきます。
星、祈り、そしてパンの三角形
社会の不公正や経済的不平等が続くこの世の中で、私たちは静かに「生きること」を再考せねばなりません。自然や人の中で生きる私たちにとって、祈りと哲学、科学によって到達できる何かが奥深くに存在します。しかし、社会の中で「パン」が欠ければ、その生は完全とは言えません。月明かりの下に見つける星と祈り、そしてパンの三角形。その優しい形の中で、私たちの生きる意味が問い直されるべきでしょう。
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