星と計られた時間の再策置――宇宙、曜曜、仕組みの神話
はじめに:「わたしたちはどこにいるのか?」という問い
「ここは銀河系のはずれ、太陽系、第三惑星。銀河系の外に無数の銀河がある」という文の通り、私たちは、一緒にいるようでしっかりとどこから分離された宇宙の節点にいる。
宗教は久しく、人類がこの「何処にいるのか」という問いを、問いの形で繰り返してきた。
この論文は、2025年6月7日に開催される講座『宇宙の旅』を、博学教養の視点で再構成し、特に「時間」と「記憶」「宗教」の相互関係を調べる。
作られた時間:カイロスとクロノス
キリスト教の上級文献『ヨハネの禁書』の始まりは、次の文章で始まる:
「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」
この「初め」とは何か? それはクロノスの時間(経過的、常数の時間)ではなく、カイロス(情熱、交差点としての時)として理解されるべきである。
宇宙論は太陽系の成り立ちを語り、宗教は神の創造の技法を語る。両者は、新たなる定規性ともに「時の意味」を創造する。
星の文法:神話と宇宙的記憶
経記は不確かなものを繋ぐ。
平凡な日常を、星座は光の約束として繰り返す。
ギリシャ神話のおとめ座、京都の星祭り、繁星への祈りは、すべて「忘れられないためのメモリー」であり、きらめく星は「未来への道示」でもある。
ここに、宗教的な「記憶」の形成の記号論が生きる。
宇宙の視点から見る宗教と歴史
宇宙論は時間を横断し、宗教は時間を繋ぐ。
宇宙の視点から見れば、神話も経記も「一つの地球文明」の記憶のかけらの像像にすぎない。
だが、その像像を通じて、わたしたちは「時」と「社会」「絵」「歌」の連絡を再構成できるのである。
おわりに:「記憶としての宇宙」と教育
2025年6月7日、錦糸のまち、鎌倉の一覧の90分の時間が、人類が創造した「宇宙と時間の6587化」を捕まえ直す。
星は問いを投げ、記憶は踏み続ける道をしめす。
わたしたちが踏み続けるのは、何十億光年の未来ではなく、今ここにある小さな問いに対する返信である。
その返信こそが、宗教の本質であるのだ。