悲しき強き市民と戦士

共産党への手紙3 立憲への手紙  戦士と市民たれ、手をつなげ

市民とはなんだろうか、その原則を再確認しないやはり先に進めないのではないだろうか。
 賛否両論はあるが、市民は
自分で工場、農地、など資本設備をもち、自分で利益を得る存在であり、自負の意思で
税や、軍事のあり方、国や地方の政策決定をルールのもとに行う者である。

 強者と言えば強者としか会いようがない。

国家や企業の構造は本質的に今も変わらない。

 その強者の市民の偽善を暴き、その手段資本設備を利益を奪い取るために、戦士はいる。

 市民、戦士枠組みは、そのまま絶望的だけれどそのままであることを認めていない。
手段と努力と手段の確保と経営から逃れることは出来ない。

 女性、外国人、障害者、労働者が、そのままでいい。みんな生まれながら平等で支え合いたい。心から私は思う。

 協同組合、コミュニティ
で再分配、贈与、寄付。ほとんどが挫折してきた。

 強者で虫酸が走るかも知らないが本来の市民を見つめ、
ほんとの戦士がなにかから
考えないと未来はない
悲しい本当に悲しいが

市民になる意思がないと
次にいけない。悲しいけれど